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初代会長KAMOGのご挨拶 : 山岳会創立&運営の苦楽話


山岳会を創ろう」1993年師走、大学時代の仲間内での忘年会(だったっけな?)時に言い出して早8年という歳月が過ぎた。それまでは山岳会のイメージというものが古ければ古い会になるほど規則だとか慣習だとかに縛られている不自由なものでしかなかったわけであるから、自立心旺盛?な自分には不向きであると思っていた。

幸いにして大学時代の山岳クラブの経験、そしてそれからも仲間内でささやかながら現カモの会の前身ともいうべき集まり(私はこれをプレカモと呼んでいるが)という土台があったわけで、それをいかに格好付けるかがそれから数年悪戦苦闘してきた課題でもあったのである。

いざ創立してみたものの、始めは周りの仲間を「山へ行こうよ〜」とか言って誘い出したりして山岳会とか会員とかとても呼べる代物ではなかった。その中でも学友のKERO、当時はその同僚のKyo-chan、Taka-chin、Uさん、Yさん、そしてSさんの7名が月例で中心となって活躍してくれた。その知り合いが知り合いを誘いながら約3年間は単なる山へ行く仲間として細々と活動していたと思う。

1996年秋頃からインターネットブームにあやかり、NIFTY山のフォーラムで会員募集掲示を開始。これが世間に対してカモの殻が初めてオープンにした切っ掛けであり結構反応があった。今をときめく出会い系サイトみたいなちょっと如何わしいものとは違い、ここから門戸を叩いてきた方々は山に対して真面目に取り組みたい人ばかりで今の中枢を担っている。インターネットを通してカモの第2ステージが始まったのである。この時期から会費制がようやくスタートして、今まで自費で自分勝手に作っていた会報もようやく公共の場に引っ張り上げることができた。

しかし会員が徐々に増えるほど、当然自分のレベルを上げること、また安全性の問題を考慮するにつけ、上部団体への加盟が必要となる。たまたま目にしたヤマケイに日本勤労者山岳連盟の説明会があると知りそこに参加。1998年3月に自分の住んでいる神奈川県勤労者山岳連盟に加盟したのである。

1999年秋、更にオープンな山岳会を目指して慣れないながらも会のホームページを作成。とりあえず登録できそうなサーチエンジンに片っ端から登録する。始めは一日に10件いけばよいようなアクセスカウンターも日に日に増加し、現在(2001年8月)は一日に50〜90件程度まで読者?が広まってきたのには感謝感謝^^; 昨年は年間100名以上の入会問合せもいただき、入会者も30名近くに及び、これ以上新しい会員が増えると山岳会の安全管理が取れなくなってしまうという危惧から誠に勝手ながら内部充実期間と称して募集休止になるまで拡大している今日この頃である。

山岳会というのは誠に難しい組織だ。自然というものをどれだけ正確に理解し、安全を最優先させて運営しなければならない。けれども決して不自由な押しつけ規則ばかりの組織になってはならない。どれだけ会員と話し合い、お互いに理解し信頼し会のカラーを創っていくかであると思う。パートナーを決めてしまう同人的な集まりにはせず、そこにいる人と人とのコミュニケーションを楽しむこと。自らがモチベーションを持ち、山行行動についてセルフマネジメントできる人材を会として育んでいけるかだ。

カモでは入会間もない会員がとても元気よい。入ってくる方が山岳会としてはとても若いという年齢的な要因もあるだろうが、何よりみんな山に対して真面目に学習しようとし、経験しようとする。山に若い人がいなくなった、などとよく目にするがそれは現実ではないと思っている。自分を自ら光らせられる環境が少ないのだ。僕らは山を通してそんな集まりを目指したい。

なんか真面目に書いちゃったけれどもたまにはシリアスにきめてみました^^

追記 山岳会を軌道にのせるポイント(偉そうだが参考までに)


■創立者は周りの協力が得られなくても決して諦めずにコツコツ「マメだねぇ」と言われるくらい活動すること

■「良い人の周りには良い人が集まる」と根拠も何もない信念をもつこと。ホームページなどには作成者の個性が現れるものだから、良い行いをしていればそれが匂いとなって良い人が集まるもんだ。(うぅ何か宗教じみているなぁ)

■ホームページの更新はまめにやること、また新しいアイデアを思いついたら、どんどん反映させていくこと

■人の立場にたって相手を理解しようという気持ちを忘れないこと

■人が育ってきたら権限(というほどのもんでもないが)を委譲し、自分は新しいモノにフィールドを広げていくこと。で、時々茶々を入れることも大事かな?

■新しい人との出会いを楽しみにすること などなど

(2001著)

追記


相変わらずありがたいことに入会希望者はあとを絶たない今日この頃。

1年に1度か2度、それも予告もなく1〜2週間このHP上だけで「休止中」という文字を外すだけで十数名以上からいただいてしまうというのが現状だ。

他の山岳会の話をいろいろと聞くにつけ、やはり世代による山岳会の二極分化は顕著なのかな。とはいえ運営側の悩みはある。

新しい活動意欲のある新入会員がドンと幅をきかせると、入会当初はそうであったが、会のサイクルにも慣れ、息抜きを覚えて落ち着いた古い会員たちの一部は懐古に走る。

理想は何年たっても今まで通りかそれ以上に仲間や新入会員たちと飲み、山に行き、お互いを知って、自分たちの経験や知識を新しい人たちに伝えていくサイクルをみんながしてくれれば最高なんだが、リーダーシップをとれるタイプの人はそうはいない。

それでも長い時間をかけて、いろいろなことを企画したりリーダーとして機能している会員は随分増えてきた。4歩下がって5歩上がるといった成長は確実にある。

年間山行数が毎年約50ずつ増えているのは、会員が少しずつ増えたことだけでなく、そのようなリーダーシップをとれたり、モチベーションが高い会員が増えた結果であろう。

反面、会の活動から様々な事情や考えの違いで残念ながら離れていく人もいる。

それで他の会に入ればよいのだが、山岳活動自体を離れていく人もいる。

生活サイクルの変化で離れていくのは当然だが、不平を残して出てこないのはとても寂しい。会員本人の生活や年齢、考え方も変わるように、運営する人、我々を取り巻く登山環境、構成する会員の志向などをもって当然会も変化していく。

変化しなければそれは衰退を意味する。

例えば小さな集まりで内包してそれを良しとするなら、今のメンバーでは活発性のない求心力のない集まりになってしまうであろう。

お互いが知り合う限界の人数が何人なのかは、おそらく会員一人一人の積極性に委ねられるのではないかな。

たとえそれが今の人数だとするならば、生活サイクル変化などの事情で致し方なく離れていく人と、新しく入ってくる人の数は同じでなければならないのだが、その辺のバランスは需要の方が勝っているのが現状。

こればかりは仕方のないことと思う。

学校でも社会でもどんな組織であろうとあらゆる面で新しいエネルギーは必要なのだ。なければ2年もかからず組織的衰退に入るのは、この集まりの年齢的特性上自明の理だろう。だから特定の人とこじんまりと山に行きたい人には向いていないかもしれない。

動性があることに対しては、会を運営する人は強力なリーダーシップが求められる。そうでなければ山岳遭難や事故のリスクは高まる一方であるから。

個人のニーズと組織のニーズのバランスを常に考え行動する力が要求されるし、会員みんながそのようなものの考え方をしてくれることを望みたい。

(2004著)